瓦版
お知らせ
2023年11月27日
元禄期(1688~ )には日本橋魚市場(後に築地に開設)は活況呈していた。
昼の芝居小屋が集まった芝居町(現在の浅草六丁目付近)、夜の元吉原(現在の日本橋人形町)
と並んで「朝の魚河岸は1日で千両動く」ほどに江戸の中でも大金が動いた。
「此橋上ヨリ御城ト富士山見エテ絶景ナリ」とある。
日本橋の魚問屋の悩みは幕府が毎日登城する役人の昼食を出す為に魚介類を悪名高
「手付け」と呼ばれる係りが魚河岸をまわり「御用」と叫び、格安の値段で納入してしまう。
商売にならないので魚を隠すと「御肴役所」を設置してごまかしができないようにした。